課題の分離できないのが、人間関係のトラブルの原因?

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こんにちは!Chieです。
今回は、アドラー心理学の中で提唱されている一つの概念である「課題の分離」をテーマに取り上げます。
フロイト、ユングに並び心理学の三大巨頭と呼ばれるアルフレッド・アドラー。
アドラーは、人間の悩みは全て対人関係の悩みである。との立場をとっています。
自分らしく自由になるための入り口として「嫌われる勇気」の中でも紹介されている課題の分離。
一体どのような考え方なのでしょうか?

努力してるんだけど、全然評価されないんだよね。

私の言ってること全然してくれない。

子どもに「勉強しなさい。」っていっても全然しない。
お悩みシスターズも、自分の想い通りにならないことにストレスを感じているようですね。
アドラー心理学の「課題の分離」の考え方を活用することでよく起こりがちな人間関係のトラブルについて解決に導くことができます。
実際私も、この「課題の分離」の考え方を知るまで、
自分に矢印を向けすぎて自己犠牲が強く悩まなくてもいいことでストレスを抱え込みすぎていました。
この課題の分離を自分の中に落とし込んだことで、必要以上に心的負担を感じなくなりました。
「自分らしく生きる」上では、必須なマインドだと私自身は強く感じています。
では、詳しく見ていきましょう!
課題の分離とは?
では課題の分離とは、いったいどういったことを指すのでしょうか。
ここでは、アドラー心理学の「課題の分離」について説明していきます。
本記事は、岸見一郎氏と古賀史健氏の著作「嫌われる勇気」をもとにしておりますので、より詳しく知りたい方は是非読んでみてくださいね。
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アルフレッド・アドラーって誰?
A.アドラーは、オーストリア出身の精神科医で精神分析のフロイト、分析心理学のユングとならんで、心理学の三大巨頭と呼ばれ、現在のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人です。
幼少期に肺炎で亡くなりかけた経験や、兄弟をジフテリアという感染症で亡くした経験から医師を志し、眼科医や内科医として勤務したアドラー。勤務先の病院が遊園地に近かったことから、大道芸人や空中ブランコ乗りなどの治療にあたることが多く、幼い頃には身体が弱かったのにそれを努力によって克服して逆にその弱かった部分を強くしたり活かしたりしている患者の存在をきっかけにして、のちの「器質劣等性」「補償」「過補償」の理論を発展させるのに繋がったと言われています。
その後は、精神分析の創始者と言われるフロイトと共同研究者としてウィーン精神分析協会の議長に就任しましたが、次第にフロイトと意見を異にすることが多くなり、フロイトの精神分析グループから離れてアドラー独自で個人心理学を確立しました。
個人心理学は勇気の心理学ともいわれ、「個人とは分割できない存在である」というアドラーの考えから「個人心理学(individual psychology)」と呼ばれるようになりました。
課題の分離の3ステップ
アドラーは人間の悩みは全て対人関係の中で生まれるとし、対人関係の悩みを解消して自由になるためには課題の分離の考えが必要だと説きました。
では具体的には課題の分離とはどのような考え方なのでしょうか。
課題を分ける
問題や課題にぶつかったときに、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」によって誰の課題かを分けます。
前述のお悩みシスターズのこちらのコメントを例に挙げてお話を進めます。

子どもに「勉強しなさい。」っていっても全然しない。
子どもが勉強しないことがもたらす結末にはどのようなことがあるでしょうか。
授業についていけない、成績が悪くなる、志望校に行けない、いい職業に就けない、成績が理由でいじめられるかもしれない…
色々な結果を想像できますが、全てその結果を引き受けるのは、子ども本人です。
ですので、子どもが勉強しないのは「子どもの課題である」と言えます。
一つの問題に付随した問題が複数ある場合は、それぞれを誰の課題かで分けるとよいでしょう。
今回のケースで言えば
勉強しないことは子どもの課題ですが、
親が口出しすることで親子関係が悪化してしまうのであれば、口出しするかしないかは親の課題であると言えます。
他人の課題に介入しない
アドラーは、対人関係の問題はおおよそ他人に課題に土足で介入しているか、自分の課題に他人が介入しているかのどちらかで引き起こされていると言っています。
ですので、課題の分離ができたら、他人の課題には介入しないようにします。
今回のケースであれば、
子どもに対して勉強しなさいと口うるさく言うという行動は、子どもの課題に介入していることになります。
子どもの課題に介入してしまうことにより、口論になったり、子どもが余計に勉強する気をなくしてしまったりという望んでいる方向と逆方向の結果に繋がってしまう可能性が高いです。
向き合うのは自分の課題のみ
課題を分け、他者の課題に介入しない次のステップは、自分の課題にのみ向き合うこと。
自分でコントロールできる自分の課題にのみ向き合うようにします。
今回のケースであれば、親が子どもに「勉強をしないことはあなたの課題であること」を伝え、必要があればいつでも援助する準備があることを併せて伝えます。
この行動は親側でできる課題ですが、その言葉をどう捉えてどう行動するかは子どもの課題です。

子どもが勉強しないことで、学校の先生から家庭の環境が疑われたり他のママからの評判が落ちるかも…だからついつい…
こんな方もおられるかもしれません。
ここでも課題の分離の考え方を利用しましょう。
子どもが勉強しないことに対してどう捉えるのかは、教師や他の母親の課題であり親の課題ではありません。
アドラー心理学は人間関係に冷たい?
ここまで読んで下さった方の中にはこのように思われる方も多いのではないでしょうか。

頭ではわかるけど、ドライな人間関係になってしまいそうだね…
自分と他人の課題を分け、明確な境界線を引くことに、ドライな人間関係を想像される方もおられるかもしれませんね。
ですが、私がこの課題の分離の考えを実践する中で感じたのは、ドライとは程遠い愛のある人間関係でした。
それはどういうことかというと、
課題を分けて自分の課題には自分の全力をかけるけれど他者の課題には介入しないという考えは、相手の可能性を信じているからこそできることだからです。
前述の子どもが勉強しないというケースでいうと
子どもに口出しすることは、子どもが自分で自分の課題を考え行動する機会を奪ってしまっているかもしれません。
それは、「自分で考え行動する」という子どもの主体性を止めてしまう可能性もありますし、選択を他者に委ねるようになってしまう可能性だってあります。
つまり、自分の課題を自分で解決する力とは、その人がその人の人生を生きるために必要なスキルなのです。
課題の分離をすることは、相手の可能性を信じ、相手の尊重することに繋がると個人的に強く感じています。
課題の分離のまとめ
いかがでしたか?
アドラーの提唱する概念はどれも人間関係において「自分」にフォーカスするような厳しい概念が多いです。
持論ではありますが、勇気の心理学と呼ばれる所以はそのあたりにあるのかなと感じています。
ですが、ここも考え方次第で見える景色が変わります。
自分の人生をコントロールしているのは、誰でもない自分自身。
自分を変えることができるのは、自分しかいないのです。
アドラーは課題の分離を人間関係のゴールではなく、入口だと話しています。
それと同時に、「自由とは他者から嫌われること」という刺激的な一文も。
これは言い換えると、
他者の評価を気にもかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分を貫くことはできないということ。
自分の思う最善の道を選び、そして、自分の下した決断に対して他者がどのような評価を下すのかは他者の課題で自分のコントロールできることではないと割り切ることが、人間関係の悩みを解決する大きな一歩になりますね。
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